徒然草

久しぶりの母校訪問

毎日、毎日暑いですね。こんなに気温が高くてもまだインフルエンザ多いし、コロナ陽性者もバンバン出ます。あまり大きく報道されていませんが、確実に第9波の真っ只中です。いつ終わりが見えるのか。毎日の外来が大変です。

なんだか今回の台風6号は山口県直撃の予想となっております。まだ海水温がものすごく高いから、台風のエネルギー源となる海からの水蒸気をたっぷりと含んで成長したまま山口県突撃です。

ものすごく変則な進路なのでまだ予想がつきませんが、週明けの天気は大変なことになりそうです。

沖縄在住の友人や先輩に連絡してみたら、停電は当たり前だけど大きな被害はないとのことでした。ただ、スーパーに全然物が置いてなくて食料品などの調達に困っているみたいです。

ようやく沖縄のコロナ騒動がおさまってきた矢先の巨大台風直撃。

沖縄の友人から届いた衝撃の写真。

なんとスクーターが電柱に刺さっております。強烈な風が重たいスクーターをこの高さまで吹き飛ばしたということです。友人からのコメントでは、台風直撃はいつものことだけど、今回の台風は特別大きかったと言っております。

そんなに台風に慣れていない本州に直撃すると甚大な被害が出そうです。今週末に色々と緊急グッズを揃えた方が良さそうです。それにしても年々台風の大きさがすごいことになってきました。台風というよりハリケーンって呼んだ方がいいくらいでっかいです。これも地球温暖化の影響なんでしょう。日本はもう亜熱帯地域です。

 

今回は久しぶりに熊本大学医学部バスケ部のOB戦・OB会に参加した時のお話です。

もう私は48歳。現役バリバリの20歳前後の若者たちとバスケしようなんて命知らずのことはもうしません。

メインの試合はOB同士だけでのんびりをバスケをするゆる〜いやつです。

それにしても部員数が増えました。自分の現役時代の倍の数はいます。

最近は部活に入らない学生がどんどん増えてきて、こんな暑苦しい体育会系のノリはもう勘弁って感じみたいです。いざこの世界にどっぷりと浸かると面白いのに。卒業してから特にそう思います。現役時代は練習がキツくて大変でしたけどね。

OB会で一番嬉しいのは、現役部員と語り合うことではなく、一緒に現役時代を頑張った同級生や先輩、後輩たちに会うことです。

皆さんそれぞれ出世したり、お母さんになったり、論文たくさん書いてどこかの教授戦に挑んでいたり、皆さんそれぞれの医師人生を歩んでいます。そんな奴らにいざ再会すると、学生時代のノリそのまんま。時は経っても何も変わらないものってあるんだなってつくづく感じました。最高の仲間たちです。

OB男性陣は日本医師バスケで一緒に遊んだりしているので、年に数回は顔を合わせることがありますが、女子OGとは滅多に会うことがありません。

この子連れの女性は自分の一つしたの後輩なんですが、今は北海道在住で、今回わざわさ北海道から熊本まで来たそうです。親戚の集まりとかあるので、そのついでだったみたいですが、卒業して23年経って初めて再会しました。

で、お互いの言葉。

「全然変わらないね!」「砂川さんも全然変わってないですね!」「お互い変わったのは体重だけ」

大体いつもこんな言葉が飛び交います。

流石に全員で大会場での飲み会は企画できず、体育館横の学生食堂で現役部員と短時間語り合いました。

その後は仲良し後輩たちと市内の居酒屋さんで飲み会を開催しました。

やっぱりいいですね、熊大バスケ部。

当時一緒に汗を流した後輩たちが、一声かけるだけでこれだけ集まってくれました。

どこかの大病院の部長になっていたり、大きな病院の院長になっていたり、開業準備をしている後輩がいたり。皆さんそれぞれの人生を歩んでおります。

でもいざ集まったら昔通りの馬鹿騒ぎ。ただ変わったのは私が年老いて寝る時間が早くなったので、後輩たちは二次会に繰り出しましたけど、私はさっさと一人でホテルに帰って眠ってしまいましたとさ。

翌朝、いつもの如く早めに目が覚めてしまったので、大雨が降る前に車で山口に帰ろうと思い、母校熊本大学医学部の駐車場に向かいました。

かつての校舎は大半が建て替わっていましたが、講義を受けたり試験の合否判定を張り出す事務室がある建物は健在でした。もうボロボロです。今でも使っているのかな?

このオンボロ校舎の入り口は自転車置き場などがあって屋根がついてます。

ここで大学全体で開催される「ビアパーティー」があったり、悪友たちと七輪を使ってサザエを焼いたりと、好き放題使わせてもらった思い出の場所です。

なんだか懐かしくなったので入り口の写真をパチリ。これって熊大卒業生でもなかなか思い出せない貴重な1枚になりました。

まだこの撮影時間は朝6時半くらい。当然誰もいません。そもそも日曜日でしたから。

お次は学生食堂や売店の入っている建物へ。この横にあるのが我がバスケ部の本拠地である医学部体育館です。

手前にあるテニスコートでは硬式テニス部、軟式テニス部の部員たちが練習時間外でもずっと練習していたテニスコートです。

この体育館やテニスコートには部員の汗や涙がたっぷりと染み込んでいることでしょう。

なんだかとっても懐かしいと思った反面、もうあんな厳しい練習はこりごりだなって、ちょっと冷や汗が出てきた48歳のおじさんでした。

ここの食堂で同級生たちと長時間語り合ったことは、今でも大切な思い出として残っています。1階にも2階にも食堂がありました。まだやってるのかな?

体育館は少しリニューアルされていましたが、基本構造は変わっておりません。18歳からバスケを始めた私。ここが私のバスケの原点であり、聖地です。

ちょっと建物を見て回っただけで気分がノリノリになってしまいました。

この日は午後から災害級の大雨が降ると予想されていたので、高速道路が閉鎖される前に山口に帰らねばと思って早起きしたのに、熊大を眺めていると色々な思い出が溢れてきました。

せっかくなので私が住んでいたアパートにも行ってみようと思い、近くにある懐かしの住まいを見てきました。当時は新築アパートで、1階にはパン屋さんが入っており、毎朝パンの焼ける匂いがしていました。ちなみに私はパンが大嫌いなので、このお店でパンを買ったことは数回しかありません。自分の住んでいたところは最上階の一番端っこの部屋、408号室です。当時はピカピカ新築だったのに、今では少しオンボロの雰囲気。ま、30年近く経過していますから当たり前ですよね。

なんだかパン屋が暗いなって思ったら、なんと、訪問するちょっと前に別の場所に移転してしまったそうな。

チラシを見てみると70年以上の歴史があるパン屋さんみたいです。

ま、パンに全然興味ないから、全く寂しくなかったですけど。

時代が変われば建物も変わります。

ピカピカの熊大医学部をみて、時代の流れを感じることができました。

なんとか九州自動車道は閉鎖されることなく関門橋を渡り終えることができたと思ったら、まさかの山口大雨警報発令で、下関インターから下道に下ろされてしまいました。

まぁ、山口県内、特に下関から山陽小野田市までの道のりは慣れたもんですから。もう何度も何度も往復したホームコートです。時々裏道を使いながらスイスイと我が家までたどり着くことができました。それにしても道中はすごい雨でした。鳥栖あたりでは前がほとんど見えないくらいの土砂降り。50km規制が出てました。早朝に帰ったので大きな渋滞や事故に巻き込まれることなく帰還しました。

次は新幹線で行こうっと。

いつまでバスケ続けれるかなって、最近本気で悩んでおります。

 

追伸1:井上尚弥とフルトンの試合はものすごかったですね。

階級を一つあげた影響もあるのか、これまで以上に相手が井上選手のパンチに耐える時間が長くなり、普段の試合であればこの半分の時間で終わるくらいだったのに、今回は8ラウンドまでかかりました。でも完勝です。

相手は違う2つの団体のスーパーバンダム級王者です。ということはフルトンがこの階級の最強ってことです。その相手に完勝。素晴らしいですね!

あとで見たネット記事の写真。

ダウンタウンの松本さんと井上選手が仲良しなのは知っているけど、なんと松本さんの横に座っていたのは、あの超大物ミュージシャンでした。

昔からのロックファンなら一目瞭然ですが、あの世界的天才ギタリスト、布袋寅泰さんが横に座っていました。

これって偶然なんでしょうか?

布袋さんと松本さんの接点って、私が知り得る限りありません。

友人として一緒に行ったのか、それとも偶然横の席だったのか。

せっかくなのでこれは自分の中の謎話にしたいと思い、それ以上の詮索はしておりません。

いい写真です。

お笑いの天才とギターの天才。

 

追伸2:この事件は驚きです。驚きと共にめちゃくちゃ腹が立ちます。車を愛する人間として。

一代でここまで会社を大きくし、しかも短期間で成し遂げたカリスマ経営者。でもその裏で吐きそうなくらいムカつく悪事を繰り返してきた悪徳社長。

こんなクズ会社は一度潰れてください。記者会見を聞いてても反吐が出ました。

で、この社長。会社のスタートは山口県岩国市からなんですよね。生まれが山口か知りませんが、ビッグモーターの発祥地は山口県でした。

車を傷つける悪行の他にも違法な保険請求や過剰なまでのノルマ、強烈なパワハラなどなど、叩けばどんどん埃が出てきます。

しかも保険会社との癒着などもあり、そちらにも影響が出ているようです。

先日、自分のクリニックで、とある方が車を柱にぶつけた際(自損事故)、相手会社の保険屋は「損保ジャパン」でした。ビッグモーターとの癒着が騒がれていた矢先の事故だったので、当院の柱修理に至るまでものすごく時間がかかりました。この事件の影響かどうかはわかりませんけど。

まだまだ悪事がどんどん暴かれていく予感がします。