徒然草

ちょっとしたギャンブル遍歴

もう11月も後半です。あっという間に年末に突入します。新型コロナ感染の山陽小野田市クラスターもなんとかひと段落したようでホッとしております。このまま静かに年末年始を迎えたいですね。

今年の日本シリーズが始まりました。毎年Bクラスに沈んでいたヤクルトとオリックスの対決です。どちらも日本一から遠ざかって久しいですから。フレッシュな対戦カードです。

本当は我が巨人軍が出て欲しかったところですが、今年は勝率5割を切るような低成績で流石にそれはおこがましいと思います。

野球好きの私ですが、どちらもさほど興味のないチームなので盛り上がれません。個人的な予想では4勝3敗でオリックスかな?って思っています。

そういえばセ・リーグのチームが日本シリーズで勝利したのは本当に久しぶりかもしれません。3年前にカープが1勝した後からソフトバンクの12連勝。我が巨人軍に至っては1勝すら出来ませんでしたからね。

セ・リーグの投手も良いピッチングをすればパワーバッターが揃っているパ・リーグにも太刀打ち出来るってところを見せてくれました。日本シリーズで怯えまくっていた巨人の投手陣も少し自信つけてください。特に戸郷と高橋。

 

今回は私のギャンブル遍歴について振り返ってみました。

前回の将棋の投稿でもお話ししましたが、私は将棋や囲碁を覚える前に麻雀を覚えました。

中学時代に、クリニック近くにある某歯科医の先生が友人の父親で、その方からいろいろな手ほどきを受けました。中学2年生くらいで麻雀を覚えてしまったということです。

そもそも私が麻雀に興味を持ったきっかけはほんの些細なことからでした。

当時、母が通っていた美容院「だんすねいく」に面白そうな麻雀漫画が置いてあり、自分もついでに髪を切ってもらっていた関係でよくこのお店でこの麻雀漫画を読んでいました。結構有名な漫画で「ぎゅわんぶらぁ自己中心派」というタイトルです。

麻雀のルールもよくわからず、ただ内容が面白かったためずっと読み続けていました。こうして麻雀に興味を持った私。まずは本屋さんで麻雀のルールブックを買い下調べ。その後、友人父から実戦の手解き。高校に入学後は寮の友人達と夜中にこっそりカード麻雀して腕を磨きました。

大学に入って麻雀熱がさらに熱くなり、部活終わりに友人宅で朝まで麻雀。時々は近くの雀荘に行って麻雀。この時初めて「全自動麻雀宅」を知り、超感動したことを覚えています。

大学時代はバスケットボールに没頭していましたが、麻雀も大好きで、さらには禁断のパチンコにも手を出しました。

バスケ部の先輩に連れられ、興味本位でパチンコを始めましたが、人生初のパチンコでなんと勝利してしまい、元手1000円が6000円に化けてしまいました。

パチンコってなんて楽しいんだ!そこからズルズルとパチンコ道を進みました。

大学の講義の合間にパチンコ攻略本を熟読し、週末で暇な時間があるときは朝から開店前のパチンコ店に並んでいました。

当時は「モーニング」ってのがあり、数あるパチンコ台の中で、設定が甘々な台がほんのちょっとあり、見事その台に巡り会えた人は朝から大勝ちするというシステムです。

当時、ハマっていたのは普通のセブン機である「球界王」です。

元々野球好きだったのもあって、この台にハマったのかもしれません。

当時の設定は大当たり確率1/200くらいで今よりは甘く、さらには出た玉を交換せずにそのまま打ち続けることができました。この辺のルールは細かいので詳細説明は割愛します。

パチンコ店には独特なルールがあり、大当たりしたにもかかわらず手玉が無くなってしまった時なんか、隣のおじさんが無言でパチンコ玉をジャラジャラと入れてくれ、「ありがとうございます!」とお礼を言いつつ、そのおじさんが吸っているタバコの銘柄や飲んでいる缶コーヒーを確認し、大当たりした出玉の一部を景品交換所に持っていって、おじさん好みのコーヒーとタバコを無言でプレゼントするなんて、普通に行われていました。今はパチンコ店も禁煙ですけどね。

当時は頻繁に通っていたため常連のお客さん達と親しくなり、色々とパチンコ台の詳しい説明を聞き、釘打ち師がどんな風にいじったとか貴重な情報をたくさん教えてくれました。パチスロも何度か遊びましたが、やはり私はセブン機が大好きでした。

私が遊んでいた頃からパチンコ店の景品交換所のクオリティーがどんどん上がってきました。

景品交換所ではなく、ちょっとした高級スーパーやデパ地下のようなクオリティーで、見てるだけでもワクワクしたことを覚えています。

日用品はもちろん、ゲームソフトや家電などたくさんあります。当時調子の良かった私はここで日用品とか食料品を揃え、スーパーファミコンのソフトもほとんどがパチンコの景品でした。

どんどんハマっていったパチンコですが、パチンコ台にも大きな革命が起き、これまで現金を投入していたパチンコ台が「CR(カードリーダー)」に変わり、金券を買ってパチンコ台に入れるシステムにさま変わりしました。

そしてついに、あの恐怖の爆裂台「大工の源さん」が世の中に出てきました。これまでは「権利もの」パチンコとかが主流で、3回権利までしか発生しなかったのに、源さんあたりから「確率変動」というシステムが導入され、超絶爆裂連チャンを引き当てたら10万円以上の利益が発生します。もうそこからは恐怖に襲われ、単なる大人の遊興ではなくなり、ギャンブル性が一気に高まってしまいました。

しかも世の中はそんなに甘くできておらず、勢いの良かった状態からだんだん劣勢となり、最後の方は負けが込んできました。

結局は当時お付き合いしていた大学同級生から「もう趣味の範囲を超えているよ!」とお叱りを受け、その後すぐに綺麗さっぱりパチンコから足を洗いましたとさ。

女性の意見には弱い私でした。

これまた大学時代に競馬ゲームの名作、「ダービースタリオン」にちょっとだけハマり、このまま競馬ブームがやってくるかなって思ったけど、熊本県に大きな競馬場がないこと、今のような場外馬券売り場やネット販売が普及していなかった時代だったこともあり、競馬にハマることはありませんでした。

高校時代にオグリキャップっていう名馬がいたので、その頃からサラブレッドがカッコよくて好きになったけど、実は私が通っていた大学のある熊本にはものすごい馬文化があったんです。

そうです。熊本といえば「馬刺し」です。

熊本県に住んでいると、馬って愛でるものではなく、食べるものだったんです。しかも熊本で食べる馬刺しは超絶美味!山口県のスーパーで気軽にフグ刺しが買えるのと同じように、熊本のスーパーでは馬刺しが気軽に買えるし、馬刺し専用コーナーってのもありました。

馬刺しがまた球磨焼酎と合うんです。米焼酎ですけど、馬刺しとの相性が抜群でした。そのような理由から競馬にハマることはありませんでした。

仕事を始めてからも、小児科の後輩達と時々麻雀してました。しかし最近は麻雀人口もめっきりと減ってしまい、麻雀大好きだった後輩が地元島根に戻ったりと、なかなか仲間達と麻雀に興じる時間が取れませんでした。

済生会下関時代に大先輩が麻雀大好きで、先生主催の大会に何度か呼ばれたことがあります。でも私、喘息持ちだから、タバコもくもくの部屋で麻雀するのが辛く、その後も何度かお誘いがあったけど断りさせていただきました。

結局、ギャンブルって得することはないと思います。なんだかんだで損して、お金を失うんです。色々冷静になって考えるとあまり有益な時間ではありませんでした。ということで、今はiPadの麻雀アプリで細々と楽しんでいますが、たまには本物の麻雀牌を握って本気の勝負をしたいなって思うおじさんでした。

息子に今から教えようかな?でも付き合ってくれなさそう。

不謹慎な父親です。

 

追伸:パチンコ話をもう一つ。新型コロナ騒動であれだけ「悪の象徴」として騒がれたパチンコ店。実はパチンコ店ってタバコ煙対策として、1時間に6回くらい換気するんですよ。三密回避に1時間1回の換気をって言われているけど、それを思うとパチンコ店って密になりにくい空間なんですよね。よっぽどカラオケボックスとかライブハウスの方が怖いです。

結局パチンコ店でのクラスター発生ってほとんどありませんでした。決して擁護するわけではないけど、今回の新型コロナ騒動で最も怖かったのは「風評被害」です。

人間が人間にもたらす風評被害がコロナよりも何万倍も怖いです。