徒然草

高校卒業30年記念同窓会in鹿児島(後編)

もう12月も半ば。2024年が終わろうとしています。相変わらず仕事は忙しいし、会議なども多いし、公的な忘年会もあるし、体調を壊さないか心配です。全然元気ですけど。

世界情勢が荒れています。

親子2代で独裁政治を50年以上続けていたシリアのアサド政権が崩壊しました。長く続いた内戦もこれで落ち着くんでしょうか?

アメリカの大統領が交代する影響で、反体制派がタイミングをはかって政権を崩壊させました。アサド政権の強烈な後ろ盾になっていたロシアがウクライナとの戦争で精一杯であり、もう一つの支援国イランもイスラエルやアメリカとのバトルで疲弊中の最中の出来事です。

今後シリアに平和が訪れるんでしょうか?アメリカからテロ組織として認定されているグループに平和な政治ができるんでしょうか?一般国民が何人も犠牲になり、難民が急増している現状。この内戦が終わることを切に願います。

隣国の大統領もすごいですね。

国会運営がうまくいかないからって、支持率が急降下しているからって、軍隊を国会に突入させる決断をした大統領はすごいです。何を考えているんでしょうか。一般国民に向けて発砲なんてしたら国際問題になってしまいます。

歴代大統領は大体最後は刑務所行き。日本の政治家も腐っていますが、隣国はもっと腐ってます。

国民デモも凄いことになってます。日本不買運動の時もそうですが、隣国の方って過激に怒ることが好きなようです。せっかく宇部空港や長崎空港から期間限定の定期便飛行機が就航開始となったのに、水を差す出来事で行きづらくなりました。観光するにはいい国なのに。

 

今回は鹿児島同窓会ネタの後半編です。

派手だった前夜祭の翌日。学校に12時集合で、学校見学、寮見学、恩師による模擬授業のイベントが執り行われました。

前回も書きましたが、仙台や東京、岐阜や那覇から来たメンバーです。インドから来た人もいます。

最近の東大入学者の大半は関東圏出身の人ばかりらしいですが、地方の進学校が衰退してるようですが、我々の時代はもっと凄かったですよ。

愛校心の強い私。男子校だったこともあり、卒業してからもずっと高校同級生たちと遊んでいます。共学もいいけど、男子校の良さってのもまだ残っているような気がします。

まずは学校見学から。

在籍時代から変わっていないものもたくさんあり、なんだか懐かしい気持ちになりつつ、軍隊教育で勉強しまくった地獄の日々を思い出すと、絶対に戻りたくないなって怖くなったのも事実。

相当勉強させられましたからね、当時は。先生も皆厳しくて怖かったです。8時間授業は当たり前。土曜日も午後まで授業がある日も多く、今思えば先生たちも大変だったと思います。ただでさえ血気盛んな男子高校生を相手にするんですから。

お次は寮見学。

中学寮は集団部屋ですが、高校寮は個室です。これは私の時もそうでした。ただ、寮が建て替わってピカピカになっていました。

私の高校時代の寮はコンクリート打ちっぱなしの刑務所みたいな部屋でしたからね。廊下にハロウィンの飾り付けをしているのにも驚きました。今時らしい、モダンな感じで在校生が羨ましいです。

お風呂も綺麗でしたが、やっぱり刑務所風。

鹿児島はとても暑いのでクーラーが必須ですが、我々の時みたいなボロい暖房機器ではなく、各部屋に今時のクーラーがついていました。羨ましい。

ただ一つ、重大な出来事、いや大事件が起こりました。それは「義務自習」です。我々の高校時代は7時と10時に点呼があり、それ以外は各個人の部屋で自主勉強でした。一生懸命勉強する人もいれば、こっそり友人の部屋でトランプをして遊ぶ人もいました。当然私は後者です。しかし今は別部屋の学習室に行って、決められた時間に義務自習をさせられるそうです。恐ろしい。夜遊びができないじゃないか!昔でよかったです。

寮の食堂も見学しました。アレルギー食に対応しているところが素晴らしい。

ただ、鹿児島のお醤油って結構甘くてクセがあるんですよね。私はすぐに馴染めましたが、千葉銚子出身の友人は最後まで馴染めず、地元のお醤油を定期的に送ってもらっていたことを思い出しました。いわゆる「九州醤油」の中でも鹿児島のお醤油が一番クセが強いと思います。枕崎とかカツオの名産地があるので、鰹出汁が効きすぎているのかな?

希望者に寮の昼食をいただくことが出来ました。

ランチメニューはソースカツ丼。さすがは食べ盛り男子のご飯。ものすごい量で食べきれませんでした。味はとても美味しかったです。

左の写真の空っぽのお皿がポイント。昔から変わっていませんが、このお皿はなんとコップとして利用するんです。

このお椀にヤカンからお茶を入れて飲むスタイル。まさに刑務所。面白いですよね。昔のジャッキー・チェンの映画みたいでしょ?

お次は模擬授業です。

さすがは我が母校の恩師たち。単なる思い出話だけでなく、本気の授業で、問題まで解かされることになりました。

国語、倫理、歴史の授業を30分ずつ受けました。久しぶりの授業です。難しい問題でしたが、それがまた楽しく、充実した時間を過ごすことが出来ました。これも苦楽を共にした学友たちと一緒に過ごせた、そして当時一生懸命指導してくださった恩師の先生の今の授業を聴けたことが本当に嬉しかったし、心から感動しました。やっぱり我が母校は世界一素敵な学校です。

中には家族連れの友人もおりました。

私も学校の雰囲気を我が子に教えたかったです。5年ごとに同窓会が開催されますが、鹿児島開催は10年ごとです。次回の鹿児島開催の時は恩師の先生たちは皆定年退職されているかもしれません。卒後40周年ですからね、次回は。

実は40周年記念の時ってもう我々は59歳になってます。還暦手前です。自分も含め、健康状態に問題がある人はもしかしたら闘病生活を送っており、鹿児島まで来れないかもしれません。またこのメンバーで元気に集まりたいので、私も健康に注意して長生きしようと思います。

夜はお待ちかねの懇親会。

今回も鹿児島で一番有名なホテル「城山観光ホテル」で開催されました。

入り口で数名と記念撮影。後ろに見えるのは、鹿児島のシンボルである桜島です。

昔からずっと我々を見守ってくれた桜島。頻繁に灰が降ってきて大変だったし、授業中に噴火して窓ガラスにヒビが入ったこともありました。

我々の青春のシンボルでも桜島はいつも以上に雄大に輝いて見えました。しかも同窓会当日に灰が降ってきました。我々を歓迎してくれたかのように。

懇親会は大いに盛り上がりました。

昔話は尽きることなく、美味しいお料理とお酒で熱く語り合いました。

ただ、久しぶりに会ったメンバーが多すぎて、話したかった仲間の半分くらいしかトークできなかったことが残念です。前夜祭で大はしゃぎしたこともあり、声がかれてしまいました。

この友人は、高校時代にずっと一緒に悪いことばかりしていた「悪友」です。

でも彼の卒後の人生は素晴らしく、乳がん診療の権威となり、アメリカに留学し、臨床研究もめちゃくちゃ頑張っており、ものすごく有名な医学雑誌に論文が掲載されたこともあります。

今では日本屈指の乳がん治療を専門とした総合病院のトップであり、臨床も研究も、乳がん診療の世界では日本トップレベルです。

うーん、なんでこんなに差がひらいた?高校時代は一緒になって悪いことばかりしてたのに。

彼とは卒業以来初めての再会でしたが、再会した瞬間から昔に戻ったかのように普通にバカ話をしました。

やっぱり出来る男って謙虚ですよね。私が「お前すごいよな!」って褒めると、「そんなこと言うなよ、お前も凄いよ!」って、ものすごく謙遜してました。本当に素敵な友人です。近いうちに個人的に鹿児島に行って、彼の病院見学をして、その後ゆっくりお酒を飲みながら語り合いたいです。

記念撮影はクラス毎。

我々の学年は250人いたので、5クラスに分かれていました。理系クラスが3つ、文系クラスが3つ。私は3年C組。一番集まりが良かったのが私のクラスでした。

後日談ですが、少子化の影響、関東圏の学校に集中している今の状況から、高校入学者は100名から50名に減り、文系クラスも1クラスになったそうです。

関東嫌い、特に東京大嫌いな私にとって、鹿児島で過ごした3年間は本当に濃密で、そこで得られた経験、苦楽を共にした生涯の友人を見つけられたこと、そしてラ・サール魂をいつまでも持ち続けるということの大切さを再認識しました。愛校心の塊ですね、私って。

最後は全員で肩を組んで、恒例のラ・サール讃歌(校歌)を歌いました。おっさんだらけの低い声で歌うので、結構な迫力です。知らない人が見たらちょっと怖いかも。

高校時代は校歌のフランス語バージョンも覚えてました。矯正出来にですけど。楽しい懇親会もこれで終了となりました。

二次会に行きたかったけど、前日からぶっ続けで騒ぎまくったこともあり、私はここで力尽き、ホテルで朝まで爆睡してしまいましたとさ。

本当に楽しい同窓会でした。濃厚な2泊3日の旅で疲れまくり、山口に帰ったらしばらく放心状態でした。

次回は35周年記念です。5年後を楽しみに、これからも仕事頑張ります!ものすごい仲間たちに負けないような仕事っぷりを見せつけてやろうと思います!!

ラ・サール高校万歳!

(その後入学した熊本大学生活6年間も壮絶でした・・・)

 

追伸:ミポリンの訃報には驚きました。

54歳の若さでこの世を去ってしまうとは。

ただ、一医療人として、54歳の若さで、入浴中の不慮の事故ってあるのかな?って疑問に思ってしまいます。

致死性不整脈だったのかな・・・

10年間も会えなかった長男の話を聞いて、また泣いてしまった私。

また一人、私の青春の象徴がこの世をさりました。

「ただ泣きたくなるの」

「世界中の誰よりもきっと」